1997年12月16日火曜日

1997年度学年通信「さぼてん」より 12月16日

管理

東葛高校は見てのとおり,さながら「無法地帯」と言ってもよいくらい「乱れて」いて,「管理教育が必要かも」という考えを持つ人が,生徒の中にも出てくる.
「管理」というのは「権力」をふるえばよいので,コストはかからない.
そして,見た目は「規律正しく」見えるようになる.
学校が生徒に権力をふるうのはたやすいことである.
成績とか内申書とか在籍という伝家の宝刀をちらつかせればそれでよいから.
管理に従わない生徒は教育方針に合わないというもっともな理由をつけて退学させればよい.
そこまでいかなくとも,管理教育は楽なものである.
生徒の話を聞くことなく規律違反を指摘すればすむから.

管理教育というのは生徒に権力を振るうという一面のほかに,
それによって生徒を大人の保護下に囲い込むという面がある.
つまり生徒を子ども扱いをして考えない人間を大量生産するのである.
これはこの数十年以上「普通の」学校で行われてきた教育に他ならない.
その結果がこの乱れた現代社会である.
考えない人間がそのまま社会に大量に送り込まれているのである.

行動経済成長のころは考えずに会社に忠誠を尽くす人間が重宝された.
企業も世界から隔絶されたニッポンのなかでぬくぬくしていたので,これでよかった.オイルショック以降,会社も生き残りのために考える人間をほしがるようになが,残念ながら,管理教育の甘い汁を捨てきれない学校は変わることがなかった(変わったのは東葛高校くらい).
以前書いたように,一度手にした権力は手放したくないものである.
会社は金儲けという目標があるから,儲けるための権力構造を変えることなく,考える社員の育成に取り組めたが,学校の持つ権力は小手先の管理教育のみでそれを捨てることは学校そのものの否定につながるため,何も変わらなかったし,それどころか多くの学校で管理強化が進んでいる.
東葛高校はこの十年くらいの間に,ずいぶん乱れてきたようである.
これは中学の管理強化の結果,考えない生徒が増えたのも原因の一つかもしれないし,さらには教師集団も教師自身が受けた管理教育の結果,残念ながら教師集団の指導力が落ちているのも原因だろう.
生徒の中に管理教育是認の考えが出てくる理由は,まずこの乱れた状況を「なんとかしなきゃ」と思うことから始まる.
それは大変よいことだが,それに対して無力な自分を思うと,「学校で管理教育始めてくれないか」ということになるわけだ.
これも「自分の手を汚さず,学校をよくしよう」という前々回書いた自分は手を下さないという形の権力行使なわけだ.
われわれ教員にとっても「規則だから守れ!」というは楽だから,自分で手を下さず規則に教育させる権力体質を持っている.

社会の閉塞状況をどうするか,というのは実は混沌の東葛高校をどうするか,と同じである.学校はシステムなので,管理教育の導入はたやすい.
行政がその気になればいつでも東葛高校に管理教育を導入できる.
まず管理教育にふさわしくない教員が転勤させられる.
そうすると,自治が崩壊しつつある生徒集団も組織的に反対することは難しいだろう.
PTAも管理教育を前にすると,子供が人質にとられていると考えるようになるから,反対しないどころか,さらには管理教育で子供がよい子になると思う勢力が台頭し,賛成するかもしれない.

でもみんなにはすでに使っている最終兵器「なしくずし」があるから大丈夫.
心の通わない管理教育にはハイハイと生返事して,背中を向けて舌を出すという手がある.
しかしこれは社会の閉塞状況の解決には通用しない.
社会で通用しないことを学校で導入しても本質的な解決にはならない.
社会が何でもありなのに,学校だけが管理したらどうなるか.
学歴社会のおかげで学校から逃げ出せずにいる生徒は,「生返事,舌出し人間」つまり利己的で要領だけがよい人間となっていく.
たぶん見た目は今より規律正しく見えるようになるだろう.
そして,学校は悪を社会に責任転嫁して自己満足にひたり,ますます社会が悪くなっていくのである.

で,どうするか.社会も学校のように管理強化するか.
管理強化したい勢力もある.
さらには短気を起こして暴力で社会変革しようとするのがテロである.

結局,管理も「粘り強い対話は手間がかかる」から,短気を起こして用いる手段だ.
私に言わせれば,管理教育は精神のテロといわざるをえない.

なかなか第1回の「どうするか?」の答えにたどりつかないな.
毎回書こうとして,話がそれてしまう.次回は必ず書くぞ!

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