1997年12月1日月曜日

1997年度学年通信「さぼてん」より 12月1日号

権力

前回まで,「権力」ということばを「公権力」という狭い意味で用いたけど,広い意味ではどこにでも転がってます.

自分が手を下さなくても誰かが代わりにやってくれるという立場の人を「権力者」といい,権力意識はその自分の立場を特権的に守ろうとするとき,誰にでも出現する.
それは,「今のままでいい」「違う立場に関心ない」「違う立場より自分が優位だと思いたい」という欲望で,認識面では「決めつけ」「単純化」,行動面では「優柔不断」「他者への命令」が特徴.(ミシェル・フーコー 要旨)

私はこの権力意識はある種の動物的本能,自己防衛本能だとおもいます.
簡単に言うと,例えば「高卒なんて馬鹿さ」という連中がいます.
そういう大卒の連中は頭がよいのでしょうか.
決してそうではないですね.
これが権力意識です.
「女だからそんな仕事は無理だ」というのいます.
「○○出身だから」「○○党だから」「障害者だから」「○○教だから」「○○病だから」(きめつけ)等々あげればきりがありません.

つぎにいじめにあってる子がいるとします.
いじめる人はもちろんですが,実はそれを見て見ぬ振りをしている人も権力を振るっています.
この場合,見て見ぬ振りをする人は自分を安全地帯において(つまり自分の立場を守って),けっしていじめられる側に身を置こうとはしません.
これは「まなざしの暴力」という名の権力行使です.

直接権力を下さなくても卑怯な傍観者は権力の味方になるのですよ.
「悪いことをすること」,「よいことをしないこと」は同じか違うか.
「よいことをしないことは」かならず悪い権力の味方になります.
つまり不善は悪と同じです.
したがって,「みんながそうだから」,「習慣だから」,「しきたりだから」と無批判に従うのも,どこかで何らかの権力の味方になります.
先日の卒入対委員会の討論でこういった理由で意見を述べる生徒もいて「若いのに保守的だな」などと思いました.
「しきたり」とか「習慣」といのは,歴史のある時点で作られたものに過ぎず,結構一部の特権保持に役立っているものも多い.
「常識は時間の関数である」(A.アインシュタイン)

「それで傷つく人,いやな思いをする人はほんとうに誰一人いないのか?」という意識をもってほしいものです.
でないと,知らないに間に「いじめる側」に立ってしまうよ.
そのとき「知らなかった」では済まされない.
というより「知らなかった」で済ましてきてしまったのがこの社会です.
権力は今後も「知らないふり」で通そうとしています.
「人権」「権力」に対する感性を磨いてね.
「誰かを傷つけるかもしれないから怖い」と思うかもしれない.
でも社会が悪いといってるだけじゃ世の中よくならない.
失敗してもいいじゃない.今から始めよう.

こういうことを書くと,社会的地位が高くなることが悪いことのように聞こえるが,そうではないよ.
今,社会的地位の高いやつにろくなやつがいないから「なりたくないよ」と思うかもしれないが,みんなの中には,いやでも社会的地位が高くなる人もいると思う.
そのとき,弱者から収奪する「弱者利用の権力者」ではなく,社会的弱者に希望を与える「弱者奉仕の指導者」になれば,それだけで社会は少しよくなる.
そのために今から「利己主義の傍観者」をやめて「人道主義の行動者」を目指して勉強,思索,行動を開始してほしい.
勉強の目的はそこのあるんだよ.
行動する中でのみ自分が磨かれる.
その行動で,自分の美学,思想を確立してください.

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