2012年8月7日火曜日

視学官


今日はスポーツセンターに出張.
といっても,いつも行っている高体連の出張ではなくて,共通教科「情報」の関係.

この会議は7月24日の国語から始まり,ほぼ毎日1教科ずつ8月中旬の農業まで14教科で毎年開催されているもので,各校一人ずつ悉皆参加である.

例年は稲毛にある高校で行われているが,耐震化工事で使えないというので,今年はスポーツセンターの研修所.
そういえば先週,音楽の先生が,間違えて稲毛の高校に行ったらしい.
「だれもいないんですけど」
って教頭に電話かかってきたらしい.たしかにそういう人だ(笑

講演は文科省の視学官.
6年前に,自分が関わった仕事の国側の担当者だった.>以前の記事
いつもながらものすごいエネルギッシュで,内容もタイムリーでわかりやすい.この人が都立高の教員時代は,こういう授業をしたのだろうなと思う.

終わってすぐ声をかけたら,もちろん覚えていて,しばし雑談.
ついでに,指導主事連中や発表者も半分以上は数学だから,みんな知り合い(w

さて,「視学官」なんて言葉,いつから使われるようになったのかな.以前,自分が関わっていたときはこの方は調査官だった.
視学官というと,明治時代の中央集権的な,学校の教育内容から人事まですべてを監督した役人を思い出すが,今は指導主事と同じ,指導助言を行う職のようである.
そもそも,今日の視学官も指導主事も,元々は皆,教員仲間である.
生徒によりよい教育をどうつくるかという視点は同じといえる.

ただし,彼らが気の毒なのは,指導助言はできても,教壇に立てないこと.
自分くらいの年齢になると,現場から剥がされ指導主事になる人や,自ら離れて管理職を目指す人もいる.

「授業をする」というのは,自分にとっては日常の仕事だけれど,これはなかなか難しく,我々だけに許されたことだからである.

どれくらい難しいことかというと,教員免許を持っているだけではダメで,教員として採用されていることが前提となる.教員免許を持っている事務職員(行政職)もいるだろうけれど,授業はできないのだ.
教科書会社や教材会社の業者も,学校で使ってもらえるように様々な教材を開発するが,それを実際に生徒に対して使うことができるのは我々だけ.
さらに,教員であっても,現場から離れ,教諭でなくなれば,授業は許されない.指導助言をする視学官や指導主事も授業をすることだけはできない.「教員免許を持っている=教員」とは言えないのである.
どんなにすごい教材を開発しても,面白いネタを集めても,実現できるのは我々だけなのである.

また,大学教授に免許は不要で,その道の専門家ならだれでもなれるが,大学教授であっても,教員免許がなければ小中高の教員にはなれない.

自分は,なんとしても,授業ができる現場から離れたくない.

2 件のコメント:

  1. 大学は免許はないですが,代わりに博士号がないと今は難しいですね.これが免許みたいなものでしょうか.ただ教員免許を取って,採用試験を受けて,みたいな定期採用されるルートはないので,なるまではある意味難しいかも.

    ところで
    >教員であっても,現場から離れ,教諭でなくなれば,授業は許されない.
    というのは厳しいですね.ちなみに私立も同じ基準なんですかね?

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  2. 文系の場合,博士号のない人多いですよね.逆にその道の第一人者でなければなりませんが.
    もちろん,教員免許取るよりその道の第一人者になったり,博士号をとる方が大変ですが,第一人者でも教員免許がなければ,教壇に立てないということです.
    でも,「臨時免許」という制度があるから,本当に必要ならなんとかなることは多いですよ.という意味で大学の先生よりはかなりハードルは低いです.

    少なくとも,小中高の授業担当者は,公立私立とも全員もれなく免許があるということです.

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